温室効果ガス(GHG: Greenhouse Gas)の削減は、世界共通の課題となっています。この解決のために企業と投資家はどう連携すればよいのでしょうか。総合空調メーカーであるダイキン工業の澤井氏と野村アセットマネジメントの小池が、カーボンニュートラル実現に向けた取組みや、企業評価手法などについて語り合いました。
小池 今回は創業以来、空調事業とフッ素化学事業を主力に成長を続け、世界で唯一、空調と冷媒の両方を手掛ける総合空調メーカーであるダイキン工業様に2050年までのカーボンニュートラル(温室効果ガス排出量実質ゼロ=ネットゼロ)実現に向けた取組みをお聞きしたいと思います。
まずは、カーボンニュートラル実現に向けて、2018年に御社が設定された「環境ビジョン2050」の概要について教えていただけますか。
澤井 当社はカーボンニュートラル実現に向けて2018年に「環境ビジョン2050」を設定し、2019年には気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の提言に賛同を表明しました。当社は事業を通じて社会の課題解決と持続的発展に貢献するために、新たな価値創造に向けたマネジメントを中・短期と長期それぞれの視点から行っています。中・短期では事業が社会に与える影響を評価した行動計画を策定しているほか、長期的な観点では自社のリスク・機会を予測・特定したかたちで「環境ビジョン2050」を策定しています。
「環境ビジョン2050」では、当社製品から生じる温室効果ガス排出量を、ライフサイクル全体を通じて削減するとともに、社会と顧客をつないだソリューションを創出し、ステークホルダーと連携して温室効果ガス排出量のネットゼロを目指しています。引き続き、IoT(モノのインターネット化)・AIやオープンイノベーションを活用し、グローバルな環境課題の解決に貢献しながら、世界の空気に関するニーズを満たし、安心で健康な空気空間を提供していきます。
「環境ビジョン2050」の実現に向けた中長期の温室効果ガス削減目標では、2019年を基準年として、未対策のまま事業成長した場合の排出量(BAU)と比べた実質排出量を2025年に30%以上、2030年には50%以上削減することを目指しています。
小池 2020年度に終了した5カ年の戦略経営計画「FUSION20」では、空調、化学、フィルタの各主力事業の徹底強化と事業領域の拡大、そして事業構造の転換を両輪として、将来に向けた成長投資も行いながら重点戦略を着実に実行されました。2021年度から新たに始まった戦略経営計画「FUSION25」はどのような考えのもとで、策定されたのでしょうか。
澤井 「環境ビジョン2050」などの長期的なビジョンや中長期の温室効果ガス削減目標を実現するために5年ごとに具体的な目標と施策を立案・実行しています。その軸となる戦略経営計画が「FUSION」です。
FUSION25では重点戦略となる9つのテーマを掲げています。このうち環境ビジョンの実現と関連する成長戦略の3テーマが、(1) カーボンニュートラルへの挑戦、(2) 顧客とつながるソリューション事業の推進、(3) 空気価値の創造、です。
(1)の「カーボンニュートラルへの挑戦」では、2050年のカーボンニュートラルを目指すにあたり、燃焼暖房のヒートポンプ化、冷媒の低GWP(地球温暖化係数)化や回収・再生・破壊などの取組みを実行することで、環境課題の解決への貢献と、事業拡大を両立していきます。(2)の「顧客とつながるソリューション事業の推進」は、顧客と直接つながり、用途別・市場別の顧客ニーズを捉えたソリューション事業を拡大するとともに、省エネや食品ロス削減などの課題解決に貢献するという指針です。また、(3)の「空気価値の創造」では、当社独自の空気にかかわる技術・商品を活用し、空気・換気の需要の高まりに応えるだけでなく、安全・安心、健康・快適といった付加価値の提供に向けて外部との協創も進めていきます。
小池 ちょうど冷媒のお話が出ましたが、エアコンなどの空調機器や冷凍冷蔵機器の冷媒として使用されるフロンについては、1987年のモントリオール議定書の採択により、オゾン層を破壊すると考えられた特定フロン(CFC)の全廃が決まり、その後、代替フロン(HCFC、HFC等)の利用が進められました。
1980年代に主力冷媒となった代替フロンのHCFCもオゾン層を破壊する影響があり、モントリオール議定書により、先進国でのHCFC生産を2020年までに全廃することが定められました。一方、HFCはオゾン層の破壊を引き起こさないものの、温室効果を有しています。地球温暖化対策の面からは温室効果が低いHFCを利用することが求められています。このような中で、御社が特許を保有するHFCであるHFC32(R32)は温室効果が他のHFCと比べて圧倒的に低く、環境影響抑制などの多くの特性を備えたHFCとして注目を集めていましたが、この基本特許を2011年に新興国に無償開放したことは世界に衝撃を与えました。
澤井 当社が特許を持つHFC32(R32)についてコメントをいただき、ありがとうございます。当社の化学事業では、オゾン層に影響を与えない代替フロンの開発に取り組み、1991年にはオゾン層の破壊係数がゼロであるHFCの量産プラントを日本で初めて稼働しました。1995年からは空調事業としてHFCを冷媒とした空調機器の開発、販売を開始するなど、オゾン層破壊防止に向けた取組みを推進しています。当社は、R32の基本特許を2011年に新興国、2015年には先進国を含む全世界に無償開放しました。続けて、2019年にR32に関する特許権の「権利不行使の誓約」を行い、2021年にはこの誓約に新たな特許を追加しました。2011年以降に申請したR32の特許を無償開放することで、環境性能が優れたR32空調機の普及を促進したいと考えました。当社のR32エアコン累計販売台数は世界100カ国以上で2,800万台以上となっています。他メーカー製を含めた場合のR32エアコンの累計販売台数は1.4億台以上、CO2排出抑制貢献は約2.3億トンと試算しています(2020年12月時点、ダイキン工業試算)。
小池 他のHFCと比べて温室効果が低いR32に関する特許権を無償開放したことにより、R32エアコンの販売が拡大し、世界のCO2排出抑制に大きく貢献したということがよく分かりました。ところで、最近、当社のような機関投資家は投資ポートフォリオの気候関連リスクおよび機会を分析するにあたり、投資先企業の温室効果ガス排出量を計測し、自社のスチュワードシップレポートの中で開示するようになってきています。もちろん、御社の温室効果ガス排出量の計測や開示状況についても関心を抱いています。
澤井 当社の温室効果ガス排出量は、99%がサプライチェーン上の排出である“スコープ3”が占めています。このスコープ3の多くの部分を占めているのが「カテゴリ11」という販売した製品の使用による排出、すなわち、当社が販売した空調機器をお客様が使用したことによる排出です。お客様が空調機器を使用したことによる排出とは、使用電力を発電した時のCO2排出ということになります。
小池 グローバルな流れとして、投資家は投資先企業が開示するスコープ1、スコープ2のみならず、スコープ3を分析するようになってきています。スコープ3の排出量はライフサイクルやサプライチェーン全体で投資先企業が関与する温室効果ガス排出量を分析するには非常に役立つ一方で、様々な課題も指摘されていますね。
澤井 その通りです。主な課題の1つ目は、当社が空調機器などの製品を売れば売るほど、当社が算定・開示するスコープ3の排出量が増えてしまうということです。世界のカーボンニュートラル実現に貢献する省エネ製品を販売したり、他社の製品から当社の省エネ製品に買い替えがあったりしても、当社製品の販売台数が増えてしまうと、当社が算定・開示するスコープ3の排出量が増えてしまいます。2つ目の課題は、「スコープ3カテゴリ11」にあたる販売した製品の使用による温室効果ガスの排出量が、当社製品を販売した国や地域のエネルギーや電力の事情に左右されてしまうことです。特に、今後、当社製品の販売拡大が見込まれる新興国や途上国は化石燃料由来の電力を使用している地域が未だに多く、どうしてもスコープ3排出量が増えてしまいます。当社が算定・開示する温室効果ガス排出量が増えれば、当社に対する投資家のESG評価が下がってしまうことも懸念されます。
小池 省エネ製品の販売を通じて、社会全体で排出量を減らし、カーボンニュートラル実現に貢献すればするほど、御社が算定・開示する排出量が増えてしまい、投資家のESG評価が下がってしまう可能性があるということですね。こうしたジレンマに対して何か有効な解決策は検討されていますか。
澤井 スコープ1、スコープ2、スコープ3の範囲には入ってきませんが、自社の省エネ技術・製品が使われたことで、温室効果ガス排出量を抑制した(自社以外の温室効果ガス削減に貢献した)量と推定する「削減貢献量」という考え方があります。当社の場合は省エネ製品を販売することにより、既存の製品が当社の製品に買い換えられ、多くの削減貢献量を算定・開示することができます。国際エネルギー機関(IEA)が2018年5月に発表した「The Future of Cooling」では、冷房の需要は2050年までに急増し、冷房に起因する世界の電力需要は3倍になると予測されています。先程申し上げた通り、当社が販売した空調機器の使用に関連したスコープ3カテゴリ11の排出量には課題がありますので、当社では、新興国や途上国を中心に今後も空調市場の拡大を見込んでいることから、実排出量を減らす取組みを追求する前提で、削減貢献量を含んだ削減目標を設定しています。
小池 当社でも、スコープ3の課題は認識しており、削減貢献量には注目していました。企業の皆様とのエンゲージメント(対話)などでも、スコープ3の算定・開示における重要度が高まる一方で、投資家の企業評価に従来のスコープ1からスコープ3の温室効果ガス排出量のみならず、削減貢献量を反映してほしいというご要望が多くありました。このような企業の皆様からの多くのご要望を受け、当社の日本株式を対象にしたESGスコアでは、従来から削減貢献量などの開示がある場合にはプラスの評価をさせていただいておりました。さらに今年から定量的に温室効果ガス排出量から削減貢献量などの温室効果ガス吸収量を控除することにしました。当社のESGスコアにおける温室効果ガス吸収量は削減貢献量に加えて、森林吸収などの除去量や購入したカーボン・クレジットによるオフセット量も含んでいます。企業が温室効果ガス吸収活動に取り組むことは、ネットの温室効果ガス排出量を減らす効果があります。そのため、企業価値にもプラスの効果があり、企業価値評価の観点からも整合的であると考えています。
澤井 御社のESGスコアに削減貢献量が反映されることを報道で知り、大変うれしく感じました。当社のような製造業の実態に寄り添い、同じ方向を見てくださっていることが分かり、心強く感じています。
小池 投資家には2050年までに運用資産(投資ポートフォリオ)における温室効果ガス排出量のネットゼロを目指すことが求められていますが、この運用資産の温室効果ガスは投資先企業の皆様が排出する温室効果ガス排出量を投資家の持分に応じて運用資産に帰属させたものです。すなわち、運用資産の温室効果ガス排出量のネットゼロを実現するためには、企業の皆様と投資家との連携が欠かせません。
従来の企業の皆様と投資家の関係は資金提供に加え、エンゲージメントや議決権行使が中心でしたが、当社が今年から始めた温室効果ガス吸収量評価は、企業の皆様による温室効果ガスの削減に向けた貢献や努力を投資家の企業評価に反映することで、企業の皆様の活動を後押しさせていただく新たな取組みであると考えています。ところで、削減貢献量の考え方について課題と感じられていることがあれば聞かせていただけますか。
澤井 削減貢献量は世界で広く認識された概念ですが、カーボンニュートラル目標に反映することについてはまだ同意が得られる状況にはなっていないと感じています。また、削減貢献量の算定・開示も世界で統一したルールがなく、削減貢献量のデータの質については改善の余地があると思います。当社が開示している削減貢献量は第三者の検証を受け、データの信頼性を上げることに努めています。こうした世界標準となるルール作りなどの課題は当社単独で解決できるものではなく、御社のような投資家やステークホルダーと連携して、解決していかなければならないと考えています。
小池 ご指摘の通りだと思います。今回の当社ESGスコアにおける温室効果ガス吸収量の反映は、ご指摘いただいた課題の解決に向けた一歩だと考えています。今後も、企業の皆様と対話を重ねながら、気候変動やカーボンニュートラルに向けた取組みを適切に評価できる企業評価手法の確立や脱炭素社会の実現に繋がるルール作りに貢献していきたいと思います。今回は大変貴重なお話をいただき、ありがとうございました。
この記事は、投資勧誘を目的としたものではなく、特定の銘柄の売買などの推奨や価格などの上昇または下落を示唆するものではありません。
(掲載日:2022年5月31日)