政府の新しい資本主義実現会議のメンバーであり、「日本資本主義の父」とされる渋沢栄一の曾孫でもあるシブサワ・アンド・カンパニー株式会社の渋澤健氏。新しい資本主義の実現やインパクト投資の拡大、人的資本の情報開示など資産運用立国に向けた様々な視点から、同社代表取締役の渋澤健氏と野村アセットマネジメントの小池広靖が語り合いました。
小池 日本株を国際的に盛り上げようと、2022年からProject BRIDGE(プロジェクトブリッジ)という取組みを開始しました。これまで様々な企業のCEOの方と対談を行ってきました。今回は企業とのエンゲージメントに精通されている渋澤さんならではのお話が聞ければと思っています。昨今政府は資産所得倍増プランを掲げ資産運用立国を目指すとしており、資産運用に注目が集まっています。渋澤さんは「新しい資本主義実現会議」の委員を務めていらっしゃいます。所得倍増プランや資産運用立国の達成により、日本はどのように変わるとお考えでしょうか。
渋澤 どう変わるかはこれからですが、なぜ必要かと言うと長年言われてきた「貯蓄から投資へ」の実現のためです。新しい資本主義の議論においても成長と分配の好循環を起こし根詰まりしていた現預金を回していこうという考えは、大分理解されるようになりました。ただ、私が少し懸念していたことは、成長と分配の好循環が国内に重きを置いてグローバルな視点が欠けているのではないかということです。日本から海外に投資し、世界の成長に繋げ、その成長の果実が日本に還元される好循環をつくることが必要です。
私は2007年に会社(2008年コモンズ投信へ社名変更)を立ち上げ、2009年にはファンドを設定しました。当時組み入れた銘柄には、グローバル展開により海外成長を取り込み高い成長率を実現し、株価は10倍を超えて上昇する銘柄もありました。
新しい資本主義は、いままでの資本主義の否定ではなく、環境や社会の課題といった外部不経済の取り込みを目指しています。人的資本の向上、特に労働者がシームレスに企業の内部と外部に繋がる労働市場改革については、直近2年で議論が進みかなり踏み込んだ方針として打ち出されました。
小池 投資のフィールドには個人投資家や機関投資家、アセットマネジャーなど様々なステークホルダーが存在します。例えば、所得倍増プランにおいても、こうしたステークホルダーが今まで通りの思考、行動を取ったままでは達成は難しく、それぞれが変化をする必要があります。そういった面で課題となる点はありますか。
渋澤 ESG(環境・社会・ガバナンス)が注目された当初、投資家の注目はG(ガバナンス)に向きがちでした。これはROEや社外取締役や女性取締役などが数値化しやすかったからです。Gに関して投資家はやや上から目線になりがちです。実際に価値を生み出しているのはアセットオーナーやアセットマネジャーではなく企業であり、企業は消費者(つまり個人)などのステークホルダーの要望に応えているのであって、結局年金や保険を含めて最終的なアセットオーナーは個人だと考えています。個人を単なるお客様とするのではなく、企業が価値を一緒に創っていくパートナーと考えるステークホルダー的な考え方が好ましいと思っています。
小池 「資産運用立国」という言葉の定義はどこかあいまいです。立国というからには、日本が発展しないといけません。一つの考え方として、金融テクノロジーをベースにインバウンドとアウトバウンドの両方から資金循環を起こしていくことがあるべき姿として想定できます。渋澤さんはどのような状態が資産運用立国にふさわしいとお考えですか。
渋澤 おもしろい視点だと思います。確かに定義づけはなかなかできませんが、まずその前によく使われる「資産運用の高度化」という言葉には注意が必要です。
高度化のためにはしっかりとした土台が必要です。制度を変えるだけではなく、個人の投資家がいわゆる投資の基本である、リスクとリターンや時間軸の考え方を理解した上で、その上に投資を積み重ねていく意識が必要です。そして、立国を考える場合、新たな価値を生み出していくことがベースになると考えます。それは企業価値とは何かという問題にも繋がります。企業の価値と価格は違います。価格は変化しますが、上場企業の場合、その瞬間正しい答えは1つしかありません。しかし、価値には経済的価値、環境的価値、社会的価値、長期的な価値など様々であって、むしろ多様な価値観が資本市場に混在することではじめて健全な資本市場が確立できると思っています。自分が大切にする価値を表現できる場づくりが一緒にできてこそ“立国”になれるのだと思います。
小池 我々も運用会社としてエンゲージメントの高度化を求められています。2021年にエンゲージメント推進室を立ち上げました。これまでの基準に沿った議決権行使だけではなく、対話を通してプロアクティブに企業価値の変革を促す取組みを積極的に進めるためです。運用会社のエンゲージメントにはどのような課題があるとお考えですか。
渋澤 コモンズ投信を立ち上げた時から、企業と対話をしながらお互いが見えない視点を学び合うことを大切にしてきました。当時としては珍しかったと思いますが、対話を促す運用会社として非財務価値を可視化することをミッションに掲げました。そもそもエンゲージメントとは英語で「婚約」という意味があります。婚約するとお互いのことを知るために様々な話し合いが行われますが、結婚すると以心伝心で意思伝達するようになる。投資の世界においてもイメージは同じで、よい意味で相手のことを知りたい、あるいは自分のことをアピールしたいということですので、根本的には同じだと思います。
運用会社はアセットオーナーのファシリテーター(良い方向に導くこと)として対話を促す役割もありますが、そもそもアセットオーナーが対話に関心がなければ成り立ちません。そういう意味でも、先に述べたように土台を固めることが重要だと思います。
小池 資産運用立国に向かって歩む中で、インパクト投資が大きなテーマになると考えています。
渋澤 先日、インパクト加重会計に関するWebinarに登壇させていただいたのですが、800人もの参加者がいて驚きました。元々インパクトインベストメントという言葉は、2008年頃にロックフェラー財団が社会課題解決に取り組むスタートアップに資金が流入するようにという文脈で用いられたものです。2013年に英国が政府予算だけではカバーできない公益サービスについて、民間を巻き込んで合意させるという意味合いからインパクトという概念を用いて、それが当時G8のプラットフォームとして日本にも波及したかたちです。
ESGとインパクトの違いは何かを考えると、ESGは投資家が企業に対して「非財務的な情報も開示をしてください」、「ESGへの取組みは投資家が判断します」というかたちで、企業は受け身の立場にありました。それに対し、インパクト投資の要は環境・社会的課題の意図です。つまり、主役は企業にあるべきです。企業が積極的に「我々はまだ可視化されていないところでこれだけの価値がある」ということを、パッションを持って投資家にアピールすると、エンゲージメントもより活発になると思います。
小池 渋澤さんは先日もアフリカにも行ってらっしゃって、グローバルサウスやヘルスケアに絡めたインパクト投資に注目されているように感じます。
渋澤 実は20年ぐらい、医療体制の整っていないグローバルサウスの国々の医療アクセスについて、日本政府の外交戦略として協力する立場にありました。その中で、SDGsに新しいお金の流れを生み出そうという外務省の下に設置された研究会でインパクトという概念を紹介し、その後、新しい資本主義の検討事項にも取り入れることができました。ESGのS(社会)は、そもそも国によって標準化が難しく、例えば人権に関しても国によって捉え方が違うし、共有言語を見出しにくいという課題を抱えていました。一方、ヘルスケアは科学的根拠となる数字があり、健康はグローバル共通に価値を創れます。日本は“健康経営”の取組みを10年以上続けているなど、実はヘルスケアとインパクトで先端を行っています。先のG7の首脳宣言でもグローバルヘルスにおけるインパクト投資への取組みを承認し、9月に開催された国連総会サイドイベントとして、Triple I for GH(Impact Investment Initiative for Global Health)が正式にローンチされ、共同議長を拝命しました。グローバルヘルスにおけるインパクト投資を日本が世界に提唱し、世界を先導していけば、それこそ“資産運用の高度化”に繋がると思うのです。
小池 2023年3月から、有価証券報告書を発行する企業4,000社を対象として、人的資本の情報開示が義務化されました。
渋澤 人的資本の情報開示については、外部との接点を持たない人事部が担っていることもあって、企業の最大の財産である人の価値が資本市場からはなかなか見えない状態です。長期投資家にとっては、現在は人的資本の情報開示が整備されていなくても、目指すべき将来像のマイルストーンを示すことができれば、将来価値に対する期待が高まります。ガイドラインに沿ったものではなく、独自の価値表現をすることで、資本市場だけでなく社会や消費者、将来従業員となるかもしれない学生などに自社の魅力をアピールする絶好のチャンスにもなるのです。
小池 渋澤さんは、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)とTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)を参考にTPFD(人的関連財務情報開示タスクフォース〈案〉)の設置について、検討を訴えています。その背景についてお聞かせください。
渋澤 ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)でも次の情報開示のテーマに関して議論するとき、私は人的資本だと主張してきました。TCFD、TNFDの次は日本からTPFD、つまりPeopleを主軸とした人的関連財務の情報開示のタスクフォースを提唱していくのが望ましいと考えています。「我が社の財産は人です」と謳う企業は昔から多く、それなら人的資本は損益計算書ではなく、バランスシートの資産で可視化すべきだと考えられますが、一方資産計上すると会社の所有となるので、それなら人的資本は株主資本と同じ価値を作るインプット項目として捉えるべきです。
小池 最後に、野村アセットマネジメントに対するご意見をいただけますか。
渋澤 アクティブ運用の強化に注力してほしいです。例えば、日本とある国の上場企業の時価総額トップ100社同士を比較すれば、ガバナンスを含め情報開示などで様々な取組みを含め遜色ないのではないかと思います。
エンゲージメントにおいても、企業規模を問わず素晴らしい企業がたくさんあることを国内外に発信していただければと思います。
小池 私たちも今、Project BRIDGEを通じて、個々の企業の魅力を理解し、アクティブ運用を見直そうとしているところです。ご期待に応えるように尽力したいと思います。本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。
野村アセットマネジメントは、2023年9月にTriple I for GH(Impact Investment Initiative for Global Health、以下「当イニシアティブ」)に新規加盟しました。当イニシアティブは、公的資金に加えて、民間資金がグローバルヘルス分野へ向かう流れを促進し、主に途上国におけるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ※1やSDGsの達成に貢献することを目的に、2023年9月21日の国連総会で立ち上がりました。
Triple I for GHについてはこちらからご覧ください。
内閣官房 健康・医療戦略室による令和5年5月22日『G7広島サミットにおける「グローバルヘルスのためのインパクト投資イニシアティブ」の発表』をご参照ください。
※1 全ての人が適切な予防、治療、リハビリ等の保健医療サービスを、支払い可能な費用で受けられる状態。
この記事は、投資勧誘を目的としたものではなく、特定の銘柄の売買などの推奨や価格などの上昇または下落を示唆するものではありません。
(掲載日:2023年11月27日)